長崎県で経験を積み、縁あって熊本県天草市の医療機関で勤務することになった倉本剛史氏。地域住民との交流を通じてこの地に愛着を持つようになった倉本氏は、「地域包括ケアも、町づくりも、さまざま分野の人が参画した形が良いのでは」と感じるようになり、医療を通じて『地域をデザインする』取り組みをはじめていきます。倉本氏が考える、理想的な地域と医療の関係とは?
医療で地域をデザインする
―2016年11月に「在宅とつながるクリニック天草」を開院されました。どのようなきっかけで地域医療に携わることになったのですか。
地域医療に興味を持つようになったのは2007年、天草のある病院に勤務医として働くことになったのがきっかけです。
長崎大学医学部卒業後、わたしは一貫して呼吸器・感染症を専門に研鑽を積んできましたが、大学病院や関連病院での勤務ということもあり、当時は地域医療にさほど問題意識もありませんでした。しかし天草という中山間地域の医療環境を知ったことで、「医療が受けられるのは当たり前ではない」ということを実感したんです。3年前、当時院長をしていたクリニックから10kmほど南にあった医療機関が院長急逝により閉院してしまい、半径10kmの無医地区ができてしまったことで、危機感はさらに募りました。自分にできることを考えた結果、NPO法人を立ち上げて有志の皆さんで訪問看護ステーションを始めるようになりました。高齢化・過疎化が加速的に進んでいく中、天草という市全体でできることを考えようと、天草のへそと言われている宮地岳に今のクリニックを開業したわけです。クリニックはNPO法人で購入した古民家再利用の施設の一部であり、どんな面白い活動ができるかなといつも頭をひねっています。
―無医地区に対する危機感が、原動力となったのでしょうか。
それもありますが、もともとの原動力は、天草の農業や漁業、町づくりに携わる方々と深く関係を築いていくうちに芽生えた“地域への愛着”だと思います。さまざまな方々の思いに触れるにつれ、「人口が自然減少していくこの地で、地域包括ケアも町づくりも特定の人が頑張っているだけでは意味がなく、さまざま分野の人が参画していかなければいけない」と漠然と感じるようになったんです。そんな時に出会ったのが、地域で活躍できる医療リーダーを育成する「コミュニティ・ヘルスケア・リーダーシップ」という学びの場でした。ここで得た学びが、今のわたしをつくっていると言っても過言ではありません。
―「コミュニティ・ヘルスケア・リーダーシップ」で、どのような出来事があったのですか?
いろいろな視点や気づきを促されるワークスタイルの合宿(1泊2日×4回)だったのですが、ある時講師の先生が言った一言が私の胸に突き刺さりました。「一般の市民活動家が地域で何かを始めるには、まず地域住民に認めてもらうために現場に入り、歩き、交流を図ることがスタート地点となるが、医師はこのプロセスを踏まずとも、地域に入り込むことが容易にできる。医療を通じて『地域をデザイン』できることは、一活動家から見ると本当に羨ましいことですよ」と言われたんです。心から「ああ、なるほどなあ」と思いました。それからは、「医療を通じて地域づくりに貢献する」ことが目標になりました。
―「医療を通じて地域づくりに貢献する」とは。
たとえば、温泉街の街歩きを通じたヘルスツーリズムが企画された際は、医療者として意見を出させていただき、ロコモティブシンドローム予防のために天草保健所と天草の理学療法士グループが作成した天草宝島体操をプログラムに組み込んでもらったり、NPO法人に協力してくれている管理栄養士さんが考案した800kcalのランチメニューを提供したりしました。また、宮地岳地区は案山子(かかし)を使った町おこしや民泊を積極的に行っているので、NPO法人の古民家の母屋を有効活用してもらい、宿泊客・地域のお年寄り・子ども達との接点を持ちながら、健康維持・増進や地域の文化伝承に取り組んでもらえるための試みも現在計画中です。熊本地震の影響で一部中断せざるを得なかった取り組みもありますが、さまざまな形で医療に関われる活動を提案していき、それを継続していきたいと考えています。
わたしは医療者として地域の健康を守り、最期まで自宅で安心して暮らしてもらうこと、最期を過ごしたい場所で過ごせるよう全力で支えることを目指して取り組みを続けていますが、そればかり打ち出しても地域には浸透しません。地域で行われている活動に、いかに健康や社会問題解決の意識を入れてもらうか―。それを念頭に活動しています。
―かなりクリエイティブに、地域活動に参加されているのですね。
中には、必ずしも一見、医療とは直結しなさそうな取り組みもあります。
たとえば、子どもからお年寄りまで全世代が参加する「健康まちづくり会議」。これは、子どもたちも一緒に考えた「こんな町にしたい」というアイデアを実現させるため、大人も子どもも一緒になって真面目に考えるという仕組みです。
当院が位置する宮地岳地区は、人口約550人。65歳以上が48%を占めており、子どもが7人しかいません。小中学校は廃校となっているため、子どもたちは他地区の学校に通っているのが現状です。中学校も他地区へ通い、高校は市街地へ、大学は首都圏へと行ってしまったら、この地への愛着が薄れ、帰ってくる要素がなくなり、人口減少がさらに進んでいく―じゃあどうする?そんな問題意識からスタートした取り組みでした。
子どもたちが自分たちの言葉で地域のあるべき姿を考え、実現する方法を大人と一緒に考える。この過程で地元意識が芽生えたり、地元をどうしていきたいか考えられるようになったりしていくのではないかと考えています。一時的に他地域で学んでいても、将来は外で学んだことを還元してくれる―そんな子どもを地域全体で育てたいですね。こうした結果、地域が盛り上げれば、地元住民の協力のもとで、血の通った地域包括ケアが構築されていくはずです。
―アプローチの対象が幅広いだけに、困難も多そうですね。
そうですね。もちろんすべての取り組みが成功しているわけではありません。
たとえば独居の方のお宅訪問をサポートする体制を組もうとした際、すでに類似の取り組みをされている方に不利益を生じさせてしまう可能性があることも経験しました。良かれと思って考えた仕組みでも、関係者全員にとってメリットになるか否か、対立構造が生まれないかなど、しっかり考えなければならない難しさを感じましたね。そして、本当の意味で地域のためになることは何かを学びました。
医療との接点を増やす
―倉本先生が考える、地域医療に取り組む魅力は何でしょうか。
正解がなく、無限の可能性を感じるところです。自分で企画提案したことがうまくいったときの大きなやりがいや達成感も魅力の1つですね。
一口に地域医療といってもさまざまですが、うまくいかなかったことをうまくいくように工夫することができ、トライ&エラーを重ねることが好きなわたしにとっては、苦労よりもやりがいを感じます。その結果、地域独自の取り組みが生まれたり、将来的に他地域の参考にもなったりするのではないかと思います。10の失敗の上に1の成功が成り立つ、そんな心構えでやっていくのがコツなのかもしれません。
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