“病気を治療するアプリ”の保険適用に向け、日本で治験が進められていることをご存知ですか?「治療アプリ」の研究開発を行う株式会社CureAppで、最高開発責任者(CDO)としてアプリ開発を牽引するのは、現在も臨床を続ける医師であり、エンジニアでもある鈴木晋氏です。独学でプログラミングを始めたのは、医学部在学中。その後、エンジニアとしての腕を磨きつつ、ゲノム研究者としての道を歩み始めました。鈴木氏はそのユニークなキャリアをどのように模索し、治療アプリの開発にたどり着いたのでしょうか?(取材日:2020年2月7日)
医療機器のように医療現場での活用を想定し、高度なソフトウェア技術と医学的エビデンスに基づき、自宅等での治療ガイダンスを可能にするアプリ。これまで医療者が関わることの難しかった診察以外の時間帯に、医学的なフォローを行い、意識・習慣に対して行動変容を促すことで、治療効果を上げる仕組みを目指している。「治療アプリ®」は株式会社CureAppの登録商標。
研究者を目指し、医学部在学中にプログラミングを独学
――医学部在学中に独学でプログラミングを始めたと伺いました。どのようなきっかけがあったのでしょうか。
高校時代は化学が好きで、研究者になりたいと思っていました。数学や理学系の進路を考えたのですが、医師である父から「医学部に入って化学の研究をしたら、ユニークなキャリアの研究者になっていいんじゃないか」と助言され、慶応義塾大学医学部に入りました。
しかし在学中に、ピペットを使うなどの細かい手技が苦手だということに気づいて……。手技は研究の質に関わるので困ったな、と思っていたとき、研究には、「試験管内で」を意味するin vitro、「生体内で」を意味するin vivoのほかに、「コンピュータ(シリコンチップ)の中で」のin silicoがあるということを知ったのです。in silicoなら、ロジカルな自分に向いているし、失敗しても何度でもやり直せる。そう考えて、3年生の終わり頃から本やインターネットで情報を集め、プログラミングを勉強し始めました。
周囲にプログラミングをしている人はいなかったので、新しいことを習得しては一人で密かに喜ぶ、ということを繰り返していたのですが、アウトプットとして、授業ノートをテキスト処理して、わかりやすくまとめるアプリを作りました。生理学、病理学などの学問を横軸、診療科目を縦軸として、縦横のつながりを見える化できるアプリです。それを友人に見せたら、「お前すごいな」と言われたこともモチベーションになり、プログラミングの勉強を続けていました。
――研究者になるという目標の過程で、プログラミングを始めたのですね。
そうですね。当時は初代iPhoneが日本で発売される前後。 最初は一人で黙々とアプリを作ることを楽しんでいました。
しかし、そんなとき、ある友人が「せっかく作ったんだから、一人で完結せず、世の中に向けてアクションしてみたら?」とビジネスコンテンストへの応募を勧めてくれて。そのコンテストで最優秀賞になり、1,000万円の投資のオファーまで受けてしまったんです。
結局その投資は実現しませんでしたが、プログラミングの面白さにはまり、ビジネスへの興味も膨らんでいきました。次第に、プログラミングで何らかのキャリアが描けたら面白いなと思うようになりました。
「初期研修はしない」。卒後はカヤックでプログラミング技術の研修
――大学卒業後は初期臨床研修を受けず、面白法人カヤックでインターンシップをして本格的にプログラミングを習得されたと伺いました。初期研修をしないことに迷いはなかったのでしょうか。
最初は初期研修を受けるつもりでマッチングに参加して、研修先も決まっていたんです。でも、ビジネスへの関心が高まってきて、卒業直前に「やっぱり起業に舵を切ろう」と決意しました。マッチング協議会に研修は受けない旨を連絡したら、「本当にいいんですか?」と念を押されましたが、後先のことは深く考えずに進みました。
当時は、「ウェブサービスなら一山当てられる」というような空気がまだ健在だった2010年。自分も「何か作れれば大丈夫」と牧歌的に思っていたんですね。起業も、恥ずかしながら明確なプランと呼べるほどのものがあったわけではなく……。親に報告したら「理解できない」と反対されましたが、最後は私に委ねてくれました。
卒業後は、ウェブを中心にさまざまなコンテンツを世に出している面白法人カヤックで3カ月間みっちり技術研修をさせてもらいました。あるイベントで出会ったCEOの柳澤大輔氏に誘っていただいたんです。そこで初めてほかの人と一緒に、かつ仕事としてプログラミングをする、という経験をしたことで、技術が飛躍的に伸びました。そのカヤックでの日々が今の自分をつくってくれています。
――仕事としてのプログラミングは、それまで一人でしていたプログラミングとどのような違いがありましたか。
プログラムのコード一つひとつに、パフォーマンスやメモリー効率、セキュリティ、他のエンジニアにもわかりやすいかということまでしっかり考える、プロフェッショナルとしての仕事の深みを得る経験になりました。
また、エンジニアの方々とのつながりが広がったことも、とても心強かったです。当時のカヤックには今や世界的に活躍されている優秀なエンジニアが大勢いて、そういう方々と一緒に仕事ができたことは財産になりました。カヤックでの研修で「エンジニアとして、外に出てもこわくない」という自信がつきました。
――カヤックでのインターンシップ後、起業は実現したのでしょうか。
インターンの後は、もともと作っていたプロダクトの改善やビジネスプランの作成に時間を割きました。在学中にビジネスコンテストに出ることを勧めてくれた友人と、一緒に起業の準備をしていたのですが、彼は医学部の一つ下の後輩だったので国家試験対策で忙しくなって……。温度差が生まれ、起業は断念しました。「さて、これからどうしようかな」とは考えましたが、不思議と「なんとかなるだろう」と楽観的で、その後はフリーのエンジニアとしてウェブ系の仕事をしながら今後のキャリアを模索していました。
ゲノム研究者として、医療を知るため臨床に
――そこからどのようなタイミングで医療の道に戻ったのですか。
東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センターがコンピュータを使った研究をしていると聞き、非常勤の研究支援職員として働くことになりました。遺伝子解析の研究に参加し、論文も執筆していましたね。「これからの自分のキャリアは、ここで研究をしていくことだ」と思っていました。ただ同時に、「医学系研究をするなら、臨床のことも知った方がいいのではないか」と、感じ始めてもいた。そこで、研究者としてのキャリアを見据えて、がん研有明病院で初期臨床研修を受けることにしたんです。
――臨床の現場はいかがでしたか。
実践的で、総合力が試される日々はとても充実していましたし、「臨床こそサイエンスだ」と感じました。中でもICUでの研修は印象的です。ICUのほとんどの患者さんは話せないですが、体の状態は常にモニタリングされていて、データはリアルタイムで更新されます。医学の力で持ちうるすべての手法を使って、現実に起きている課題に対峙する――。自分は、そういうことが好きなのかもしれないと思ったんです。
このまま臨床を続けていきたい、という思いもわいてきたのですが、もともと研究者を見据えての初期研修だったので、東大医科学研究所時代の恩師がいた東北大学大学院の医学系研究科に進学し、ゲノム研究に戻りました。
従来の価値観に とらわれない働き方をしたい先生へ
先生の「やりたい」を叶えるためには、従来の働き方のままでは難しいとお悩みではありませんか。
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